パンタズニュース

Dr.フリッツスペシャル


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1999年 4月25日

ドクター・フリッツの
   来日中止狂想曲
またもやドタキャン
ブラジルでいったい何が起こったのか!?

 ブラジルの奇跡のヒーラー、ドクター・フリッツについては、ご存じの読者も多いだろう。第一次大戦で死んだドイツ人の従軍医、ドクター・フリッツが、リオデジャネイロの若きコンピュータ技師、ルーベンにのりうつって、1日に1000人もの患者を癒している、という。

 リポートは、タケシ出演のテレビ番組にもなり、日本中で話題を呼んだ。ドクター・フリッツを代表とするの3000あまりのスピリットの集団は、21000年前に地球に来て、ぼくら人類の進化や成長を手助けしてきたという。そして彼らのこの地球での使命は2000年に終わり、ルーベン自身は、2000年に死ぬと宣告されている。

 そこで、ブラジルでフリッツに治療を受けた人々とともに「ドクター・フリッツを招く会」というボランティアーの団体を結成して、ルーベンを日本に招待することになった。

 最初は去年の12月始めに来日して、講演とヒーリングをすることに決まり、日本側の受け入れ体制は準備万端整った。ところが、来日直前になり、「ルーベンは日本に行きたがっていますが、私は2月まで行けません」というドクターフリッツ自身からのメッセージがおりてきて、ドタキャンになってしまった。

 そして今年の2月、僕はオーストラリアまでDr.フリッツを迎えに行き、彼のビザを準備して、一緒の飛行機で成田に降り立つ予定だった。ところが、途中にハワイに立ち寄ったところで、予期しなかった連絡が、ブラジル在住の映像作家、ディビッドから届いた。 

 緊急の特別な事情がブラジルで発生して、ルーベンの国外渡航許可が突然取りあげられた、ということだった。またもやドタキャンだ。ぼくは、デイビッドからのその電子メールを読んで、涙を抑えきれなかった。

「、、、、ルーベンは完全に落ち込んでいて、心からパンタと迷惑をかけた日本の人々に謝りたい」と言っていました。あなたもルーベンも『光』を多くの人々にわかちあおうと努力してきました。しかし意志の力だけでは十分ではないことも、この世界には起こるようです。

 先週、ビデオ撮りの最中に、急に予告なしにDr.フリッツがルーベンに現れました。ルーベンはDr.フリッツに、「どうして自分は、ここまで苦しまなければいけないのか?」と聞きました。それに対するDr.フリッツの答えはとても感動的で私的なものでした。私はDr.フリッツのスピッリトが泣くのを初めて見ました。

 Dr.フリッツのスピリットは、ルーベンのために泣き、ルーベンが癒した、何十万という患者のために泣き、いまだに治療するチャンスの訪れていない何百万人の人類のために、号泣したのです、、、、、、。

 ぼくはハワイから急遽、ボールダーに帰るなり、今度ぼくの本のポルトガル語版を発行するブラジルの出版社を通じて、ルーベン/フリッツの最新情報を逐一、送ってもらった。

 ドクターフリッツの記事は、大きなカラー写真入りで、リオやサンパウロの新聞にほぼ毎日の載ンが医師免許を持っていない、ということだった。そして、ドクターフリッツの手術の失敗により死んだ患者3人の遺体が、公立病院に違法に運び込まれ、あたかも自然死のように見せかけた、という嫌疑もかけられていた。

 その上、新聞にはルーベンの離婚した前妻のリタが大きく扱われており、お金のことで話がこじれている、ということが日本のワイドショーさながらに報道されていた。

 ぼくは2週間後にやっとルーベンと電話で話す機会が持てた。その時彼は、「オゥ、パンタ、私は地獄のような問題に巻き込まれています。私はあまりにも苦しいので、自殺をしようとしました。ところが神とドクターフリッツが、私に今死ぬことを許してくれなかったのです。」と言った。来日については、「でも、私は日本に行きたいのです。日本の美しい魂たちと、自分の持ってるものを分かち合いたいのです。サイババからも手紙が来たのでインドにも行ってみたいです。」とも話した。

 結局、元ブラジル大統領のヘルニアの手術を成功させて治したルーベンの疑いは晴れ、4月より、フリッツの診療所は再開された。

 ぼくは5月終わりには、出版記念パーティーでブラジルに行く。そこでルーベンに再会してサイババからの手紙を見せてもらうのが楽しみだ。


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