虐殺の町・ファルージャより


 ファルージャの大量虐殺は、ベトナム戦争のソンミ村の大虐殺に例えられ
るほど、世界中に衝撃を投げかけています。
 ここでは、別の二人の記者からの現地レポートを訳出しました。


 Page 1          ダール・ジャマイル
              4月13日 アンチ・ウォー掲載

 ファルージャではここ数日間、市全体が米軍により包囲され、水も電気も
ないまま、一般市民が「集団処罰」を受けているという。なのにマスコミは
その惨状をほとんど報道してはいない。
 実際、ファルージャ市内で取材している記者は、たった二人しかいないの
だ。私は現場で起こっているだろう残虐行為をこの目で見て世界中に報らせ
るめ、ファルージャに行くことにした。

 バグダッドの友人たちの助けもあり、私たち世界各国から集まった小さな
グループは、医薬品などの人道支援物資を大型バスに積んでファルージャに
向かった。いつまた始まるか分からない次の虐殺の前に、負傷者たちをバグ
ダッドの病院に連れ帰ることも、このバスの目的のひとつだった。

 いまとなっては、バグダッドを離れるだけで危険きわまりない。米軍はヨ
ルダンまでの道路を封鎖している。ハイウェーでは爆破されたタンクローリ
ーが道路わきでくすぶっていた。また、抵抗勢力の攻撃を受けたばかりなの
か、まだ黒煙をあげている米軍の巨大なMー1戦車の横も通り過ぎた。
 途中、道路わきの小さな家から子供が飛び出し、バスに向かって、「ぼく
らは死ぬまでムジャヒディン(聖なる戦士)なんだぞ!」と叫んだ。

 最初の米軍検問所では、米兵たちはすでに30時間ぶっつづけでそこにい
るとぼやいていた。兵士たちから車内検査をされたあと、バスはファルージ
ャに向かった。そこでも道路わきに、破壊され放置された武装軍用車があっ
た。
 ちょうど近隣の村人が、その軍用車からたくさんの箱を略奪し、運んでい
るところだった。路上には他に車が走っている様子はなく、それはまさに殺
伐とした風景だった。

 いったんハイウェーの検問所から離れると、もうそこには米軍の姿はまっ
たく見えなかった。私たちは、ムジャヒディンが米軍から奪還した領域にい
るのだ。
 バスが農道を通過する間、イラク人とすれ違うたびに彼らは、「ファルー
ジャに行くのか? 神の祝福があらんことを!」と叫びかけてきた。すべて
のイラク人が私たちのバスに向かって手を振ったりピースサインを出したり
した。

 町に近づくにつれ、道路わきの子供たちがパンや水を、無料で人々に渡し
ているのを見た。子供たちは平たいパンのかたまりを、バスの中の私たちに
も気前よく投げてよこした。
 これらイラク人たちの隣人愛というか親しく接待する気持ちは、信じられ
ないほどだった。彼らはみんな私たちを歓迎してくれているようだった。

 ファルージャに到着するなり、市内から巨大な爆煙がのぼるのを見た。
米軍が大きな爆弾を投下したのだ。「一時停戦」なんて、あったものではな
い。
 ファルージャ市内は、ムジャヒディン戦士たちがそれぞれの街角で待機し
ている以外は、ほとんどもぬけのからだった。ここは、戦闘中の街なのだ。
 私たちのバスは、イタリアのNGOから託された医薬品を届けるために、
町中の小さな医院に向かった。
 
 街でいちばん大きな病院は、そこに出入りしようとする人々を米兵が狙撃
するので使えないし、もう一つの病院は米軍がすでに爆撃したので使用不能
だ。いまファルージャで機能しているのは、二つの小さな医院だけだった。
それはこの医院と、もうひとつは車の修理工場内に設置した臨時医療所だ。